変な風邪が巻き起こした、『個人的なことは政治的なこと』

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先週から引いてた風邪がようやく治ってきた湖衣です!

久々に風邪をこじらせてしまいました。

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なんか変な風邪を引いてしまって

でも、いつになく不思議な風邪なんです。

普通ならのどが痛くなったり、鼻水や咳とか出ると思うんですが、今回は何日もずっと軽い寒気が続くばかりで一向に進行せずで・・・・・・

いつもなら寒気を捉えて葛根湯や生姜湯を飲めば一晩で風邪が抜けていくんですが、それでも寒気がしつこく首筋や背筋にへばりついてしまってました。

数日して、いつもなら半日仕事が丸1日掛けてやっと納品したんですが、そこで観念していつも通っている漢方外来を予約。

いわゆる風邪の症状が出てなくって、なんか不思議な風邪なんです、って相談したら、

「しっかりちゃんとした風邪引いてますよ」

っていわれちゃいましたw

漢方薬をもらって家でずっと籠もりながら養生。

風邪の抜けがほんと遅くってⅠ日ごと薄皮を剥ぐような治り方。

薬がなくなってもう一回漢方外来へ行くと、治りが遅いんでってことでほんと珍しく抗生物質もらいました。

ここの漢方外来は通い始めて10年来ですけど、風邪で抗生物質など西洋薬を出されるのはほんと1年に1回あるかないか。

まあ、しつこい風邪なんでしょうね。

体を見つめる大切な時間

でもおかげで10日ぐらいほぼ自宅で籠もって心と体と向き合う時間ができて、かえって良かったと思っています。

小さい頃から東洋医学や整体に興味があって、その手の本はよく読んでいるんですが、病気になるとさらに読書欲が強まります。

10年ほど前に3冊ほど買ってさらっと読んだままになっていた整体師さんの本が、今になって体に染みこむようにわかってきたり、最近ちょっと自分なりに一つ悟ったことがすでにその本に書かれていたり、でも、時間と経験の上で違う角度から見たからこそ改めて気づける素晴らしさってありますよね、我が意を得たりというか。

何人かの整体師さんの本が手元にあるんですが、いまとてもしっくりきているのは関東で活躍されていて野口整体の流れを汲む片山洋次郎さんという方です。

東京や横浜ではカルチャーセンターで講座されているそうなんで、近かったらほんと行きたいぐらいなんですが、こういうとき地方在住だと壁がありますね。

まあそれはさておき、その片山洋次郎さんの本では「共鳴」というキーワードが何度も出てきます。

長くなるので自分の中の思考のプロセスは省いて結論だけ書くと、結局整体であれ、なんであれ、すべての物事の要諦は「共鳴と調和」なんだろうと。

「共鳴と調和」は<この世界>にとって脅威

とかくお仕事はもちろんプライベートでもネット社会の恩恵と弊害に包まれているいま、世の中はおしなべて「刺激と興奮」その果ての「分離と麻痺」といった流れだと思います。

ちょうど自分の通っている整体の先生も、とにかく触らないこと、刺激を強めず軽くすることこそ効果が絶大になる、といった話をしてくださるんですが、片山洋次郎さんの「共鳴」というキーワードはさらに自分の中の理解を深めるものとなりました。

共鳴するっていうのは、刺激すること、触れることなく相手のエネルギーを震動させて自然が求めるままに変化させることなんだと思います。

昔買った本に書いてたやん!って思ったのは、普通整体の本だとポイントとなる場所を押圧したり動かしたりして刺激を与えるのですが、片山洋次郎さんの方法では変化を起こさせる合谷や内関といったツボを反対の手のひらで包んで触れるか触れないかのまま10呼吸ほど保つだけで、全身の流れを整えていくというものでした。

しかも、刺激しないほど効果が出る、という文句もしっかり書かれていたりして。

小川の片岸しか歩いていなかった、見ていなかった

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もしかすると、ここのところ感じているのは、これまで小さい頃から、小川の片側の岸しか歩いてこなかったんじゃないか。

つまり、小川には両岸があって左岸も右岸もあり、向こうの岸も視界には入っているはずなのに意識してもう一つの岸辺があることを気づかないままこちら側の土手の上だけを歩いていたんじゃないか。

小川そのもの川幅は短く、高さもなく、簡単に下に降りて川の中を歩くことだってできる。向こうの岸に行って、また気が向けば戻ってくることができる。

それなのに、ずっとこちらの岸の土手の上で歩くことが当然と思い込んでいたのではないか。

そんな感覚がじわじわしてきています。

The personal is political

「共鳴と調和」というのは「刺激と興奮」一辺倒の世界からすると極めて恐ろしく、間違うと脅威になるもののはずです。

前者はあくまで永久であって、後者には限りがあるからです。

整体という自分の体を見つめる非常にパーソナルなことが、実は社会のリアルな感じをどう捉えるかというとても公に広がるものと実は深く結ばれているという事実に、ここのところ静かに心が震えています。