ライターあるある|方言問題 〜「しまう」をどこに『始末』するのか〜

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以前やっていた、住まいに関するキュレーション記事案件での話。

『収納』がキーワードでいくつも記事を書いて納品したところ、あるとき、表記で気になる点があると指摘されました。

『仕舞う』って使わない!?

「本を本棚にしまう」
「服は衣装ダンスに仕舞っておきましょう」

「片付ける」「収納する」の意味で「しまう(仕舞う)」を多用していたところ、

「しまうは『物事を終わりにする』という意味のほうが強い」
「仕舞う、と漢字ではあまり書かない」

とのこと。

自分の中では「しまう」「仕舞う」が一番ピッタリくる表現なので、この感覚の違いは何だろうとネット辞書はもちろん手元の国語辞典も数冊繰ってみました。

しまう【仕舞う・終う・了う・蔵う】

(動ワ五[ハ四])

①(仕事などを)し終える。終わりまですませる。また、仕事が終わる。「店を—う」「仕事が早く—ったら寄ってみよう」「食事を—つて茶を飲みながら/青年鷗外」

②使っていたもの、外に出ているものなどを納めるべき場所に納める。片付ける。また、適当な所に入れる。「おもちゃを—う」「財布を懐に—う」「秘密を胸に—っておけない性質」

(以下、省略)

スーパー大辞林3.0 (三省堂)

確かに、第一として『終わりにする』という語義が掲げられ、『片付ける』『収納する』は二番目に登場しています。

しかし、「店をしまう」というのと「おもちゃをしまう」とでは、私の中でまったく別の言葉のように捉えていたことに気づきました。

古い辞典ではどうなっている?

明治時代、夏目漱石や折口信夫も愛したといわれる、大槻文彦の「言海」(明治37年刊)を引っ張り出してみましょう。

志まふ[仕舞](一)為シ終フ。遂ゲ為ス。済マス。「仕事ヲー」「稽古ヲー」

(二)藏(ヲサ)ム。入レ込ム。「書物ヲ匣ニー」 ※『匣』=箱、函

言海 (ちくま学芸文庫)

ここでもニュアンスとしては現代の国語辞典とほぼ変わりありませんね。

結論は方言にあり!

そのとき、もしやと思いついてネットで調べてみると、やはりそうでした!

・「しまう」→「片づける」

伊予弁 – Wikipedia

つまり、生まれ育った地元の方言の影響で普段から「片付ける」はあまり使っておらず、「しまう」を多用しているのだと気づいたんです。

日常会話では家でこんな表現が飛び交っています。

「きちんと食器をしまっとこう(=きちんと食器を片付けておこう)」

「帰ったら上着は脱ぎっぱなしにせんと、ちゃんとタンスにしもといて(帰宅したら上着を脱いだままにしないで、きちんとタンスに片付けて下さい)」

「干しとった洗濯物、しもといたよ(=干していた洗濯物を取り込んでおきましたよ)」

といった感じ。

子供の頃、「片付ける」という言葉はあまり馴染みがなかったと記憶しています。

むしろ、よそ行きの言葉の感覚でした。

幼稚園や小学校では先生が「お片付けしなさい」と叱ったり、区切りで設けられた「お片付けの時間」があったりなど、たぶん児童の指導法が背景にあるような、特別な色味が付いたイメージでした。

ただ、それでも全国的に「しまう」をまったく「片付ける」の意味で使わないというわけではなさそうです。

試しに、関東の友人に訊ねてみると、基本的には「片付ける」だが、たまに「しまう」を使うこともある、といった印象でした。

方言の幻想は広がって

ふと、京都弁を中心に関西でよく使われていた『始末』という言葉を思い出しました。

京都のおばんざいを紹介する際に、引き合いに出されるこの言葉。

おばんざいは、四季折々の滋味に富んだ京野菜を中心とした旬の食材や乾物を使い、お金をかけんと手間をかけ、安い材料も端っこまで使い切り、作ったもんは残らんように食べ切って、出来るだけ食べもんを捨てんようにする。そんな、使いまわしの工夫が凝らされた料理です。無駄をなくすことを「始末する」という言葉におきかえ、分相応に、足るを知り、贅沢をしすぎんようにという心がけが、おだいどこを預かる京おんなの暮らしの矜持です。

『おばんざい』のこと(杉本節子) | 京の食文化 | 京都をつなぐ無形文化遺産

『おばんざい』という言葉のほうは比較的最近のものらしいです。

それでも『始末』がケチなどではなくて、倹約・節約への尊い意識を漢字二文字で表したものなのは間違いありません。

ただ、現代では『始末』というと「始末をつけなさい」「アイツを始末しろ」といったような随分物騒な用語に転換しているのは残念な気もしますね。

まとめ

日常的に使っている方言が書き言葉に影響しているというのは当たり前なことなのですが、ライティングの修正依頼でこうした事実がわかるというのも面白かったです。

みなさんがいま使っている言葉も、案外方言の感覚から出ているものかもしれませんよ。